軌跡

大沢昌助

大沢 昌助 1903-1997

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1903 9.24 1903-1東京三田網町に、大沢家の次男として生まれる。兄・弟とも建築家。
父は現東京芸術大学建築科を創設し主任教授となる。
父の妹(おば)が福沢諭吉の長男に嫁ぎ、親戚となる。
写真は、福沢家からもらった犬と三兄弟。
1903 1903-2父・三之助
芸大の赤レンガ校舎、福沢諭吉本宅・別宅、哲学堂など設計する。
後に宮内庁より重要建築物の管理をまかされる。
1928 25歳 現東京芸術大学西洋画科(藤島武二教室)を主席で卒業。
1929 26歳 1929第16回二科展初入選(1982年退会)
この頃の二科は前衛的で入選が難しかったので、新聞に大きく出た。
2点入選。「丘上の少年」油彩、80号
1932 29歳 1932国立音楽学校一期生・ピアニスト北村季美子と結婚。
季美子とは、ダンスで知り合う。季美子の父は作曲家。
長野県の人が酔うと必ず歌うという長野の歌はこの父の作曲。
1936 33歳 新美術家協会展出品(以後毎回出品)
1939 36歳
「子供の園」1946年

「子供の園」1946年

長男 泰夫(画家)生まれる。

1942 39歳 長女 園子生まれる。
1947 44歳 1947この頃 教科書 童話本 絵本の挿し絵の仕事が増える。
戦後、雨後の竹の子のごとく子供の絵本の出版社が増え、
東京にいたせいもあり、依頼が引きも切らない。
1952 49歳 サロン・ド・メ展(パリ)に出品日本国際美術展に招待出品(以後毎回出品)
1954 51歳 現代日本美術展に招待出品(以後毎回出品)この他国際形象点サンパウロ・ビエンナーレ展招待出品多摩美術大学教授となる(1970年まで)
1960 57歳 1960世田谷区役所第一庁舎ロビー壁画にモザイク作製
1961 58歳 1961戦後初の個展は兜屋画廊だったが、全部抽象で30号だったため1点も売れなかった。
30年後にこのシリーズを練馬区立美術館が買い上げる。出品作「淡い光」40号。
1964 61歳 国際形象展に招待出品(以後毎回出品)この頃より個展多くなる。
1965 62歳 サンパウロ・ビエンナーレ展に出品多摩美術大学正面玄関にモザイク作製
1970 67歳 1970はじめてリトグラフをフジ美術より発表
リトグラフ「卓上」32×40、CD75
1972 69歳 1972東京国立近代美術館「戦後日本美術の展開展」に出品
出品作「青い昆虫」100号
1974 71歳 個展会場にて
1976 73歳 東京都美術館「戦前の前衛展」に出品
1977 74歳 1977大阪国立国際美術館「日本の美展」に出品広島美術館「裸婦展」に出品(写真は、裸婦展出品のもの)
1981 78歳 1981静岡県伊東市池田20世紀美術館「大沢昌助の世界展」
「書きものをする娘」油彩、40号
1989 86歳 1974パリ・グランパレ美術館「SAGA 展」にリトグラフ「そうぐう」8種発表。
その後、ベルギーへ巡回する。
1990 87歳 1990練馬区立美術館「具象絵画のモダニズム1930 – 1940」に出品
1991 88歳 1991東京新都庁舎 都議会本会議場前ロビーの大理石壁画デザインを手がける。
1991 88歳 銀座和光「88才記念展」新作の大作約50点出品
練馬区立美術館「変身と変貌・大沢昌助展」新旧作品約100点出品
米寿記念画集発売中(5,000円)より
1992 89歳 目黒区立美術館「青展」に出品
1994 91歳 1994志摩museum 開館一周年記念展「大沢昌助展」
写真:「朝の陽光」30号アンビック現代美術館「大沢昌助新作展」
1995 92歳 「中村弊賞」受賞
勲章にも無関心で断っていたが「ツネさんは好きだ」と受賞した。

若い人を励ます賞は多いのですが、この賞は長く優れた業績のうえに高い人格をそなえた人に贈られる賞で、大沢先生で4人目です。
今までどの賞も断ってらした大沢先生も、「ツネさんは好きだ」とお受けになり、4月3日新宿の中村屋で受賞式がありました。
先生は珍しく黒のダブルの正装に黒いカカトの高い靴で、
「若い時中村弊の「エロシェンコ肖像」を見て感心したことを思い出した。
あの当時ああいうふうに画く人はいなかった。
中村弊賞どうもありがとう」と挨拶されました。
中村弊の友人の創った「中村弊」胸像が記念に手渡されたのがとても重いので、私がお供いたしましたが、昼食はカレーライスではなくフランス料理でした。
ワインは中村屋のハウスワインの赤でした。
選考委員、新聞社のえらいおじさん方と、
中村屋からは紅一点中村弊会会長代理保利美萌さんがおとなりに座られたので先生はゴキゲンでした。

アルカディア
95.4.青山ムツコ

1996 93歳 妻、季美子死去
1997 93歳 93歳まで毎年精力的に個展を多数開催
5月15日アルカディア主催「大沢昌助新作展」会期中急逝

「空は暗い…」油絵、60号、1997年(93歳) 練馬区立美術館・追悼展出展

「空は暗い…」油絵、60号、1997年(93歳)
練馬区立美術館・追悼展出展

「わきあがる」1997、40F、アクリル

「わきあがる」1997、40F、アクリル

●生前、新作展を毎年開催いたしました。

●没後、全体像現れるよう各年のテーマを決めて毎年5月に展覧会を開催してきました。

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1997 9 1997_2.jpg追悼デッサン・水彩展出品作
デッサン「8.16 植物と虫」
終戦の放送を聞き、うれしくて、すぐに写生に出かけた。
1998 5 1998Part1 「市松」出品作
「市松シリーズF」1994年、50F、アクリル・カンバス
パンフレット「市松」(500円)より
1999 5 1999Part2 「いきもの」出品作
「徘徊」1993年、60号、アクリル・カンバス
パンフレット「いきもの」(500円)より
1999 11 1999-51940~97年展出品作
「砂上」1940年、20F、油彩・カンバス
1999 12 茨城県立近代美術館「中村ツネ賞展」
2000 5 2000Part3 「丸・三角・四角」展
出品作「無題」1995年、6F、アクリル・カンバス
2001 5 Part4 「裸婦展」
出品作
2002 4 2002練馬区立美術館「絵本原画の世界展」出品
出品作「寝姿」1992年、40P、アクリル・カンバス
2002 4 2002-4-1東京芸術大学「卒業制作と自画像展」出品
1928年、首席で芸大を卒業、作品買い上げとなる。
自画像は一晩で画いたそう。
2002-4-2
2002 5 2002-5Part5 「風景」
出品作「庭の想い出」1988年、20F、油彩
2003 3 練馬区立美術館「見える風景、見えない風景」
2003 3 Part6 「地平線、水平線」
出品作「水平線」40号P
米寿記念画集(5,000円)より
2003 6 2003-6国立近代美術館「地平線夢展」
出品作「岩と人」、油彩
2003 9 2003-9練馬区立美術館「版画 – 表現と技法展」
出品 うつりかわりシリーズ「はしる」
大沢昌助版画集(300円)より
版画発売中
2003 12 2003-12練馬区立美術館「生誕100年展」
出品作「森の木陰」1993年、60F、アクリル・カンバス
2004 5 2004-5Part7 「花・草・木」展
出品作「百合は語る」1991年、10F、アクリル・カンバス
2005 5 2005-5Part8 「静物展」
出品作「廃墟と静物」1949年、25F、油彩
練馬区立美術館「生誕100年展」出品
  9 東京都現代美術館「東京府美術館の時代展」に出品
2006 5 アルカディア主催「大沢昌助の世界展Part9 色のリズム」
2007 5 アルカディア主催「大沢昌助の世界展Part10 人物」
2008 3 練馬区立美術館「芸術は寿し」に出品
  5 アルカディア主催「大沢昌助の世界展Part11 点と線」
2009 5 アルカディア主催「大沢昌助の世界展Part12 顔」
2010 5 アルカディア主催「大沢昌助の世界展Part13 色面」
  11 練馬区立美術館「大沢昌助と父・三之助展」
2011 5 アルカディア主催「大沢昌助の世界展part14 婦人像」
2012 5 アルカディア主催「大沢昌助の世界展Part15 いきもの」
2013 5 アルカディア主催「大沢昌助の世界展Part16 生誕110年記念展」