人柄

大沢先生(1903~1997)のお人柄

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慢心せず。実験を繰り返し、変貌を続けた珍しい画家。
名声を求めず、無欲で93歳まで現役で新作発表。
専門家から敬愛されました。

●お父様がイギリス留学して、芸大の建築科を創立されたので、一流の方々がお家に出入りされていた良き環境でした。
お人柄が良いご両親に充分愛されて育ちました。兄弟とも建築家で芸術一家でした。
お父様が水彩画が上手で手ほどきをうけていました。

●芸大を首席で卒業されましたが、それに甘んじず、「自分の絵を描く」模索と実験をくりかえし、93才まで進化しつづけました。
同時代の作家の作品、又古美術にも関心があり、93才まで美術館、ギャラリーに出かけました。
93才の新作展の中日、朝寝たまま昇天、生涯現役、大往生。

●明治の生まれですが「家事は出来る人がすればいい」と苦手なピアニストの奥さんに代わり、家事全般なさっていた進歩的な家庭。

●不誠実な出来事にあっても「人の世の姿ね」とクスクス笑ってこだわりませんでした。奥さんいわく「この人の荒らげた声を聞いたことがない」。

●絵の好きな人が買えるようにと、値段を上げることを由としませんでした。
「絵の悪いことは恥ずかしいことだけど、絵の安いことは恥ずかしいことではない」と(美術館レベルの画家の作品を庶民が買えるのは先生の無欲のおかげ)。

●多くの美術館にコレクションされていますが「美術館の倉庫のために描いているんじゃない」と絵の好きな人の生活と共にあることを喜ばれました。
「重要なのは効果である。全てのおきてからはなれて、自由に、平面に描き上げる作業は、必ずしも楽とは言えないが、決定の瞬間は悪い気持ちはしないものだ」。

●「どこも同じ、東から日が昇りゃあ、西に沈む」と外国には一度も出かけませんでした。
モダンな絵ですが、外国のマネでなく、日本人の絵です。和室にも洋間にも合います。

●晩年、勲章もNHK「日曜美術館」も断わり、「ほっといてくれるのが一番」と好きな絵を描く日々を大切にされました。
そのため、一般の方に知られる機会が少なくなりました。
えばらず、おもねず、自然体ですごされ、多くの作家から敬愛されました。
少年の心を最後まで持ち続け、透明な器に天からふりそそぐものを無心で描くという最晩年でした。

大沢 泰夫

ご長男・画家

父昌助は若い時から版画が好きで、20歳台に自刻自擢した木版が、
なん点も残っている。
70年代からリトグラフ、銅版画、最後はシルクスクリーンと精力的に作品を制作した。
今回のカタログは晩年のアルカディアエディションのものだけの様だが、
昌助生涯の版画へのかかわりの全貌を俯瞰出来る図録がほしいと願うのは欲が深いか ――